地球上のあらゆる生き物の中で、
「自分は何のために生きているのだろう」
と考える生物は、おそらく人間だけではないかと思います。
我が家のネコもイヌも、
そんなことに思いを巡らしたことはなさそうで、
ご飯を食べる時は、真剣に食べているし、
散歩中は目に映るものに集中。
寝ている時は、本当に平和そのものです。
もう、見ているだけで癒されます。
実はヒトだって、普段は生きる理由なんて考えていません。
くだんの「何のために生きているのか」という問いは、
心が疲れている時に、少しずつ澱のように沈殿して、
「生の輝き」を覆ってしまうようです。
その方がもともと持っている「輝き」が
また周囲を照らすことができるように。
私達は、診療やカウンセリングを通して、
この澱を払っていけたらと願っています。
ある時、敬愛する師に
「仕事、楽しめてますか?」と尋ねられました。
それは、クリニックを引き継いでから、
慣れない業務に汗をかいている私へのねぎらいの言葉でした。
「楽しむ」というのは、この場合、
「生きがいを感じていますか」ということだったと思います。
「生きる理由」と「生きがい」は似ているようで違うみたいです。
人は「生きがい」を感じている時、
あえて「生きる理由」を考えることがありません。
私は仕事を楽しんでいます。
でも、そう思えない日には、
師のことをそっと思うことにします。
私に「生きがい」をバトンタッチしてくれた師に。
心からの感謝を込めて。

「自分は何のために生きているのだろう」
と考える生物は、おそらく人間だけではないかと思います。
我が家のネコもイヌも、
そんなことに思いを巡らしたことはなさそうで、
ご飯を食べる時は、真剣に食べているし、
散歩中は目に映るものに集中。
寝ている時は、本当に平和そのものです。
もう、見ているだけで癒されます。
実はヒトだって、普段は生きる理由なんて考えていません。
くだんの「何のために生きているのか」という問いは、
心が疲れている時に、少しずつ澱のように沈殿して、
「生の輝き」を覆ってしまうようです。
その方がもともと持っている「輝き」が
また周囲を照らすことができるように。
私達は、診療やカウンセリングを通して、
この澱を払っていけたらと願っています。
ある時、敬愛する師に
「仕事、楽しめてますか?」と尋ねられました。
それは、クリニックを引き継いでから、
慣れない業務に汗をかいている私へのねぎらいの言葉でした。
「楽しむ」というのは、この場合、
「生きがいを感じていますか」ということだったと思います。
「生きる理由」と「生きがい」は似ているようで違うみたいです。
人は「生きがい」を感じている時、
あえて「生きる理由」を考えることがありません。
私は仕事を楽しんでいます。
でも、そう思えない日には、
師のことをそっと思うことにします。
私に「生きがい」をバトンタッチしてくれた師に。
心からの感謝を込めて。
クリニックからの夕景
