そらクリニックの外来には、
外国人の方も多く訪れています。
背景は様々ですが、その中には、
配偶者が日本人という方も。
日頃のストレスについて話していくなかで、
夫婦関係が話題に上ることも珍しくありません。
日本人女性と結婚している外国人男性が
よく口にするのが、
「妻は怒ると黙り込んでしまう」ということ。
2人の関係がうまくいっていない時は、
そんな「だんまり」が、
事態を改善する努力すらしていない、と
彼らには映るようです。
日本人の妻の立場からすると、
ことはもうちょっと複雑で、
・言いたいことはあるが、うまく言葉にできない
(↑2人の共通言語が夫の言語である場合はなおさら)
・これ以上事態を悪化させるぐらいなら、むしろ黙っていたい
という心の動きが背景にあることが多い気がします。
要するに、事態の改善を放棄しているわけではなく、
次善の策として沈黙を選択している訳です。
言語を介したコミュニケーションで事態改善に向かいたい夫と、
言語は必ずしも最良の策ではない、そう思っていることを察してほしい妻
お互いの要望にはズレがあります。
もちろん、日本人同士のカップルでも
同じようなことは起きているでしょう。
でも、その場合、どの程度が「よくあること」で、
どの程度が、個人の特性ゆえの反応なのか、
判断がつきやすいのではないでしょうか。
国際結婚の場合、
いったん2人の関係が冷え始めると、
こうした行き違いの背景に
文化や習慣の相違があるのではないかと
思いを馳せる余裕がなくなります。
つまり、行き違いの原因は、
相手のネガティブな特性にある、と
短絡してしまいがちになる。
(そう言えば、以前から冷たいところがあった、など)
先日、国際結婚をしている友人と話していた時に、
彼女がこんなことを言っていました。
日頃から、
「違っているのが当たり前」と思って接しているの。
違う、と感じたところに線を引いて、
線のこちら側が正しくて、そちらはおかしい
という関係性の中で生きていくのは、自分もしんどい。
違うのは当たり前で、だからそこで線も引かない。
そういうのもあり、かもね
という付き合い方。
こんなスタンスでいれば、
相手の反応に違和感を抱いても、
それが即NGということにならない気がします。
お互いの国に国境はあっても、
心と心の触れ合いはボーダーレス。
…そんなことを考えさせられた友人の発言でした。

外国人の方も多く訪れています。
背景は様々ですが、その中には、
配偶者が日本人という方も。
日頃のストレスについて話していくなかで、
夫婦関係が話題に上ることも珍しくありません。
日本人女性と結婚している外国人男性が
よく口にするのが、
「妻は怒ると黙り込んでしまう」ということ。
2人の関係がうまくいっていない時は、
そんな「だんまり」が、
事態を改善する努力すらしていない、と
彼らには映るようです。
日本人の妻の立場からすると、
ことはもうちょっと複雑で、
・言いたいことはあるが、うまく言葉にできない
(↑2人の共通言語が夫の言語である場合はなおさら)
・これ以上事態を悪化させるぐらいなら、むしろ黙っていたい
という心の動きが背景にあることが多い気がします。
要するに、事態の改善を放棄しているわけではなく、
次善の策として沈黙を選択している訳です。
言語を介したコミュニケーションで事態改善に向かいたい夫と、
言語は必ずしも最良の策ではない、そう思っていることを察してほしい妻
お互いの要望にはズレがあります。
もちろん、日本人同士のカップルでも
同じようなことは起きているでしょう。
でも、その場合、どの程度が「よくあること」で、
どの程度が、個人の特性ゆえの反応なのか、
判断がつきやすいのではないでしょうか。
国際結婚の場合、
いったん2人の関係が冷え始めると、
こうした行き違いの背景に
文化や習慣の相違があるのではないかと
思いを馳せる余裕がなくなります。
つまり、行き違いの原因は、
相手のネガティブな特性にある、と
短絡してしまいがちになる。
(そう言えば、以前から冷たいところがあった、など)
先日、国際結婚をしている友人と話していた時に、
彼女がこんなことを言っていました。
日頃から、
「違っているのが当たり前」と思って接しているの。
違う、と感じたところに線を引いて、
線のこちら側が正しくて、そちらはおかしい
という関係性の中で生きていくのは、自分もしんどい。
違うのは当たり前で、だからそこで線も引かない。
そういうのもあり、かもね
という付き合い方。
こんなスタンスでいれば、
相手の反応に違和感を抱いても、
それが即NGということにならない気がします。
お互いの国に国境はあっても、
心と心の触れ合いはボーダーレス。
…そんなことを考えさせられた友人の発言でした。
