めじろそらクリニックのblog

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2018年10月

メルボルンに行ってきました。
着いた日は、半袖でも汗ばむような陽気だったのに、
翌日は、ライトダウンを着ていても寒いぐらい。

この地に長く住む人が言うには、
メルボルンは1日の中にも四季がある街。
それほどお天気が変わりやすいらしい。

さて。
今回の旅の目的は、
Acceptance & Commitment Therapyのワークショップへの参加。

でも、それはまたの機会に触れることにして、
今日は、マルクス・アウレリウスのこの言葉から。
初めて目にした時、衝撃を受けました。

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 "Everything we hear is an opnion, not a fact.
  Everything we see is a perspective, not the truth"
                                                           by Marcus Aurelius

私達の耳に入るすべてのことは、単に意見であって、事実ではない。
私達が見ているものも、そう見えているというだけで、
それがすなわち真実というわけではない。
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論より証拠。
メルボルンのセント・パトリック大聖堂のステンドグラス:
(私が撮ったもの)
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(友人が、そこ、私も行ったよ〜と送ってくれたもの)
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同じステンドグラスなのに
こんなに色みが違うなんて!!

先週の始め、体調を崩しました。
しんどさのピークは2日程度でしたが、
それが過ぎたら、今度は顔が むくむ、むくむ。
細い目に下ぶくれの、まるでオカメさんでした(涙)

でも、楽しみにしていた予定が目白押しだったので、
マスクを併用しつつ参加。

結果、昨日はさすがに体力と気力が消耗していることを自覚。
こうなると、どうもタスクが先延ばしになってしまいます。
(メールの返事がすぐ来ないな〜と思った方、すみません)

で、あろうことか、to do はとりあえず脇に置いて、
「プーと大人になった僕」を近くの映画館で観てきました。

その中でプーさんが言ってくれた言葉がコレ↓
"Doing nothing often leads to the very best something"
何もしないことが、最良の何かをもたらしたりするよ。

 素直に納得して、昨日はもう何もせずに寝ました。
単純なもので、今日一日は、少し気力が戻ってきているのを感じます。

いっぱいいっぱいになってしまっていると感じたら…
「何もしないこと」
プーさんから大切なことを学びました。
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このまま涼しくなっていくのか?
と思いきや、10月なのに真夏日到来。
今年の天候には思い切り振り回されている気がします。

私たちの思考には、どうやら慣性の法則があるようで、
涼しくなっていく外気に馴染もうとしているところに、
暑い1日が出現すると、どこか裏切られたような気がしてしまうのですね。

自然現象に対してすら、そう思うのですから、
いわんや人に対してをや。

安定した関係を築いている、と思っていた人が
いつもと違う態度を示してきたら、結構動揺しませんか?

そして、あの時言ったあの言葉がまずかったか、
いや、何か返事を忘れて失礼しているのかも…
などなど、疑惑の無限ループにはまってしまうことがあるのでは。

私はあります。
特に疲れている時は。

本当のところ、
その人に他意は全くなく、
他のことに気をとられていただけかもしれない。
いや、でも、やっぱり私が何かしでかした?
(粗忽者なので、十分ありうる…)

わかるわけのない正解を求めて、脳がフル回転するので、
一層、疲れます。

こんな悪循環を救ってくれたのが、
Acceptance & Commitment Therapyで出会った考え方。

「その思考は、自分にとって役に立っているか?」

その思考が正解かどうか、ではなく、
そのことを考えることが、何か自分のためになっているか?

自分のためになっているのであれば、考え続けたらいいし、
そうでなければ、考えなくたっていいのだ、ということ。

シンプルな基準だけど、私にとっては効果てきめん。

しかつめ顔をして、何かの正解を求めるのに躍起になっている自分がいたら、
心の中でそっと聞いてみることにしています。
「それを考えることは、私の役に立っている?」 
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P1011332こんにちは、吉平です。
M家の人間が頼りないので番犬をしています。

M家は約1名を除き、ネコ派なので、
ボクは肩身の狭い思いをすることがありますが、
できる範囲で好き勝手をしています。

でも、この家にもらわれてきたばかりの時は、
ボクはなんでもかんでも遠慮していました。

ヒトのそばにいるのが大好きなボクですが、
目の前でドアが閉められてもシュンとしているだけでした。

でも、ある時、たまたま背伸びして
ドアノブに前足をかけたら、ドアが開いたのです。

ナントイウコトダ、ドアガアイタ!!!

有頂天になってしまったボクは、
次の日も同じことを試みてみました。
でも、1回目は前足がドアノブにかすっただけ。

アレ?

昨日はうまいことドアが開いたのに、おかしい。
その時のフォームを思い出すと、
もう少し上体が大きく伸びていた気がします。

そこで、2回目は後足を踏みしめて、
もっと思い切り伸び上がってみました。
すると、今度は前足がしっかりとノブにかかって、
ドアが開いたのです!!

コレダ、コノカンカクダ。

ふと、横を見ると、M家のYが
「うわ〜、これぞPDCA!」
と何やら興奮してノートにメモっています。

どうもYは、それまで、
Plan-Do-Check-ActのDoとActの違いを
知らなかったようです。
なぜ、Plan-Do-Check-Doじゃダメなの、
って、Yは全然ものごとをわかってませんね。

Plan(ドアを開けたい)っていう気持ちがあって、
Do(やってみたら開いた)そして、
Check(どうして開いたのかを振り返る)があっての、
Act(こうすれば開く)

だから、DoとActは、やってることは同じに見えても、本質的に違ってる。
そこには、「たまたま」から「確信」への進化があるんだよね。

何かができるようになっていくって、
こういうことの積み重ねなんじゃないかな。 

そうそう、DoがあったからActにつながったことを忘れないでね。
まずは、◯◯したいって具体的に思うこと。
そして、いろいろと試してみること。 
うまくいかなかったとしても、
これではうまくいかない、ということがハッキリするから、
次に見えてくることがある。
今や、家のドアならどこでも開けられるようになったボクの言うことを信じてほしい。

ドアの閉め方も習得するように、とYには言われているけれど、
それはまた別の話。 

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