そらブログ

めじろそらクリニックのblogです。

先週の始め、体調を崩しました。
しんどさのピークは2日程度でしたが、
それが過ぎたら、今度は顔が むくむ、むくむ。
細い目に下ぶくれの、まるでオカメさんでした(涙)

でも、楽しみにしていた予定が目白押しだったので、
マスクを併用しつつ参加。

結果、昨日はさすがに体力と気力が消耗していることを自覚。
こうなると、どうもタスクが先延ばしになってしまいます。
(メールの返事がすぐ来ないな〜と思った方、すみません)

で、あろうことか、to do はとりあえず脇に置いて、
「プーと大人になった僕」を近くの映画館で観てきました。

その中でプーさんが言ってくれた言葉がコレ↓
"Doing nothing often leads to the very best something"
何もしないことが、最良の何かをもたらしたりするよ。

 素直に納得して、昨日はもう何もせずに寝ました。
単純なもので、今日一日は、少し気力が戻ってきているのを感じます。

いっぱいいっぱいになってしまっていると感じたら…
「何もしないこと」
プーさんから大切なことを学びました。
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このまま涼しくなっていくのか?
と思いきや、10月なのに真夏日到来。
今年の天候には思い切り振り回されている気がします。

私たちの思考には、どうやら慣性の法則があるようで、
涼しくなっていく外気に馴染もうとしているところに、
暑い1日が出現すると、どこか裏切られたような気がしてしまうのですね。

自然現象に対してすら、そう思うのですから、
いわんや人に対してをや。

安定した関係を築いている、と思っていた人が
いつもと違う態度を示してきたら、結構動揺しませんか?

そして、あの時言ったあの言葉がまずかったか、
いや、何か返事を忘れて失礼しているのかも…
などなど、疑惑の無限ループにはまってしまうことがあるのでは。

私はあります。
特に疲れている時は。

本当のところ、
その人に他意は全くなく、
他のことに気をとられていただけかもしれない。
いや、でも、やっぱり私が何かしでかした?
(粗忽者なので、十分ありうる…)

わかるわけのない正解を求めて、脳がフル回転するので、
一層、疲れます。

こんな悪循環を救ってくれたのが、
Acceptance & Commitment Therapyで出会った考え方。

「その思考は、自分にとって役に立っているか?」

その思考が正解かどうか、ではなく、
そのことを考えることが、何か自分のためになっているか?

自分のためになっているのであれば、考え続けたらいいし、
そうでなければ、考えなくたっていいのだ、ということ。

シンプルな基準だけど、私にとっては効果てきめん。

しかつめ顔をして、何かの正解を求めるのに躍起になっている自分がいたら、
心の中でそっと聞いてみることにしています。
「それを考えることは、私の役に立っている?」 
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P1011332こんにちは、吉平です。
M家の人間が頼りないので番犬をしています。

M家は約1名を除き、ネコ派なので、
ボクは肩身の狭い思いをすることがありますが、
できる範囲で好き勝手をしています。

でも、この家にもらわれてきたばかりの時は、
ボクはなんでもかんでも遠慮していました。

ヒトのそばにいるのが大好きなボクですが、
目の前でドアが閉められてもシュンとしているだけでした。

でも、ある時、たまたま背伸びして
ドアノブに前足をかけたら、ドアが開いたのです。

ナントイウコトダ、ドアガアイタ!!!

有頂天になってしまったボクは、
次の日も同じことを試みてみました。
でも、1回目は前足がドアノブにかすっただけ。

アレ?

昨日はうまいことドアが開いたのに、おかしい。
その時のフォームを思い出すと、
もう少し上体が大きく伸びていた気がします。

そこで、2回目は後足を踏みしめて、
もっと思い切り伸び上がってみました。
すると、今度は前足がしっかりとノブにかかって、
ドアが開いたのです!!

コレダ、コノカンカクダ。

ふと、横を見ると、M家のYが
「うわ〜、これぞPDCA!」
と何やら興奮してノートにメモっています。

どうもYは、それまで、
Plan-Do-Check-ActのDoとActの違いを
知らなかったようです。
なぜ、Plan-Do-Check-Doじゃダメなの、
って、Yは全然ものごとをわかってませんね。

Plan(ドアを開けたい)っていう気持ちがあって、
Do(やってみたら開いた)そして、
Check(どうして開いたのかを振り返る)があっての、
Act(こうすれば開く)

だから、DoとActは、やってることは同じに見えても、本質的に違ってる。
そこには、「たまたま」から「確信」への進化があるんだよね。

何かができるようになっていくって、
こういうことの積み重ねなんじゃないかな。 

そうそう、DoがあったからActにつながったことを忘れないでね。
まずは、◯◯したいって具体的に思うこと。
そして、いろいろと試してみること。 
うまくいかなかったとしても、
これではうまくいかない、ということがハッキリするから、
次に見えてくることがある。
今や、家のドアならどこでも開けられるようになったボクの言うことを信じてほしい。

ドアの閉め方も習得するように、とYには言われているけれど、
それはまた別の話。 

臨床心理士の澤地です。

 
「すばらしい」「大好き」「気に入った」「最高」…。
で、どんなところが?と問われると、うまく言葉が続かない。
反対に、嫌いなことや気に入らないことについては、
ああだこうだ、すらすらと言葉が出てくるのに。

俳句など、ほとんど読んだことのない私が、
クスッと笑ったり、
目頭が熱くなって鼻の奥がツーンとしたり、
フーッと深いため息をついたりしながら、
一句一句、言葉の響きを口腔で味わいながら読んでいく
稀有な体験をした。

それは、かれこれ
1年近くも前のことになる。
以来、その句集との幸福な出会いを
どう人に伝えたらいいものやら考えあぐねていた。

中井久夫は、詩集などを献本されると、
いいと思った詩の部分や歌を三つ選んで書き写し、
著者に返事をするという。

確かにそれは著者に対する「よいお礼の仕方」だと思えるし、
「少なくとも見当違いの批評より」何層倍いいかわからない。**
だから、私も中井先生に倣って、
三つの句を選んで俳人に対するお礼に代えたい。

 
 

真つ先に暮れてゆくなり葉鶏頭

 

グールドの手袋のままピアノ弾く

 

  流星が梢に触れてさざ波す

 
髙橋亜紀彦句集『石の記憶』より

注釈)
 *  ヒルティ著「眠られぬ夜のために」に因む
** 中井久夫著「本棚一つの詩集たち」より引用

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そらクリニックの外来には、
外国人の方も多く訪れています。
背景は様々ですが、その中には、
配偶者が日本人という方も。

日頃のストレスについて話していくなかで、
夫婦関係が話題に上ることも珍しくありません。

日本人女性と結婚している外国人男性が
よく口にするのが、
「妻は怒ると黙り込んでしまう」ということ。

2人の関係がうまくいっていない時は、
そんな「だんまり」が、
事態を改善する努力すらしていない、と
彼らには映るようです。 

日本人の妻の立場からすると、
ことはもうちょっと複雑で、

・言いたいことはあるが、うまく言葉にできない
(↑2人の共通言語が夫の言語である場合はなおさら)
・これ以上事態を悪化させるぐらいなら、むしろ黙っていたい 

という心の動きが背景にあることが多い気がします。
要するに、事態の改善を放棄しているわけではなく、
次善の策として沈黙を選択している訳です。

言語を介したコミュニケーションで事態改善に向かいたい夫と、
言語は必ずしも最良の策ではない、そう思っていることを察してほしい妻
お互いの要望にはズレがあります。

もちろん、日本人同士のカップルでも
同じようなことは起きているでしょう。

でも、その場合、どの程度が「よくあること」で、
どの程度が、個人の特性ゆえの反応なのか、
判断がつきやすいのではないでしょうか。

国際結婚の場合、
いったん2人の関係が冷え始めると、
こうした行き違いの背景に
文化や習慣の相違があるのではないかと
思いを馳せる余裕がなくなります。

つまり、行き違いの原因は、
相手のネガティブな特性にある、と
短絡してしまいがちになる。
(そう言えば、以前から冷たいところがあった、など)

先日、国際結婚をしている友人と話していた時に、
彼女がこんなことを言っていました。

日頃から、
「違っているのが当たり前」と思って接しているの。

違う、と感じたところに線を引いて、
線のこちら側が正しくて、そちらはおかしい
という関係性の中で生きていくのは、自分もしんどい。

違うのは当たり前で、だからそこで線も引かない。
そういうのもあり、かもね
という付き合い方。

こんなスタンスでいれば、
相手の反応に違和感を抱いても、
それが即NGということにならない気がします。

お互いの国に国境はあっても、
心と心の触れ合いはボーダーレス。
…そんなことを考えさせられた友人の発言でした。

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